蛙の公爵

 

ピートルはいつものように目を覚ました。上機嫌だった。昨日は久々に吏祢と思い切り遊べたからだ。彼は仕事疲れのためか、あまり元気がなかったのだが、何とか強請った。おかげで今はぐっすり寝ている。今日は休日なので、しばらくは起きてこないだろう。

ピートルは家の外に出た。彼は今28歳。見た目も、精神的にも幼いとよく言われる。ひどい時には十も年下に見られる。そしてさらにひどい時には女性にまで見られる。長い髪のせいもあるのだろうが。しかし、そんな彼にも恋人がいる。吏祢という青年だ。訳あって一緒に暮らしている。吏祢は五歳年下だが、ピートルよりよっぽど大人っぽい。いつも馬鹿げたことをするピートルをなだめるのが彼の役目だ。

吏祢の家は少し人里からはなれた林の中に立っている。おかげで空気もよく、うるさくない。庭では小さな池の周りに、蛙が飛び跳ねていた。

「カエルが一匹、カエルが二匹・・。」

ピートルは声に出して蛙を数えた。蛙はピートルに気づいたが、逃げることなくこちらに寄ってきた。人慣れしているのだろうか。

「カエルが八匹、カエルが十匹・・・。」

「九を抜かしていますよ。」

突然、一匹の蛙が口を開いた。

「あ、ごめん。君が九匹目だね。」

「そうです。」

信じがたい光景だったが、ピートルはすんなりと受け入れた。

「どうして喋ってるの?」

「どうしてと言われましても・・あなた様こそなぜ私共の言葉が分かるのですか?私にはあなた様が私共の言葉を話しているようにしか聞こえませんが。」

「俺は普通に話してるだけだよ。・・おかしいね。俺はどっちの言葉を喋ってるのかな。」

「そ、ですね・・。」

その上品な蛙はそのままピートルの側にいた。

「カエルが十八匹、カエルが十九匹・・。」

「なぜ蛙を数えているのですか?」

「退屈なんだ。何かしたくなる。」

「それで数を数えているのですか。人間というのはよく分かりません。」

「俺だって、カエルの気持ちなんか分からない。・・なぜカエルは子供を産んでそのまま放っておくんだい?」

「それは、あなた様が口を出せるレベルのことではありませんよ。蛙はそういう生き物なのですから。」

「じゃあ、誰がどうやってカエルや人間や、他の生き物を創ったのか知ってる?」

「生き物は誰によって創られたのでもありません。大昔の微生物が幾度も形を変え、いろいろな種類になってこうしている訳です。」

ピートルは感心した。

「へえ、君たちカエルのほうがよっぽど頭がよさそうだ。ねえ、名前はなんて言うの?」

「名前のある蛙などおりませんよ。ですが、他の者は私を蛙の公爵と呼びます。」

「蛙の公爵・・。」

ピートルにはなんだかこの蛙が、とても偉そうに思えた。

「俺はピートル。よかったら家に来ない?たくさん話がしたいんだ。」

「それは結構ですが、私はこの池の側にいないとどうも安心できません。あなた様が私どもの家に来てはどうですか?」

「いいよ。どこにあるの?」

「この穴の中がそうでございます。」

蛙の公爵は地面にあいたピンポン球くらいの穴を指差した。

「入れないじゃない。」

「入れますよ。こうして言葉が通じているのですから。」

「どういう根拠なの?」

「蛙はいろいろ知ってますから。さあ。」

公爵はピートルの手の上に乗っかった。すると、見る間にピートルの身体は縮んで、穴の中に吸い込まれていった。

ついた先は、公爵の家の中だった。それは当たり前なのだが、壁が土でできている以外は人間の家とあまり変わらない。暖炉では火が燃えていて、テーブルや椅子もあった。

「ねえ、俺どんな格好してる?カエルになっちゃったの?」

「いえ、小さくなっただけのようですが。」

「本当に?鏡はないの?」

「姿を映せるものは水面鏡しかありませんよ。おーい!」

公爵は誰かを呼んだ。するとキッチンの方からハーイと女性の声がして、ばたばたとかけてくる音がした。

「水面鏡を持ってきてくれないかね?!」

公爵が叫ぶと再び女性の声がして、しばらくして、一匹の蛙が姿を現した。

「家内です。こちらはお客さん。ピートル様だ。」

「それはそれは。よくいらっしゃいました。」

その女性の蛙は深く頭を下げた。そして、手に持っていた水の入っている桶をピートルに差し出した。ピートルはそれに自分の顔を映した。

「・・ああよかった。俺のままだ。」

「それでは私の部屋へ行きましょう。」

「うん。」

「あなた、お茶をお持ちしますか?」

「うむ。」

ピートルは蛙の公爵に案内され、奥へ向かった。階段や分かれ道がたくさんあって、下手をすると迷いそうだった。ところどころ草や木の根が飛び出していた。

「ここには、公爵様と奥さんのほかに誰か住んでないの?」

「20匹ほどが暮らしております。」

「家族?」

「さあ・・、子供の顔など分かりませんが、この家では私が主です。この辺りは住める場所が少ないので、私の家に住まわせてやっているのです。」

「へえ。」

「こちらです。」

公爵は頑丈そうな扉を開いた。

「おかけください。」

書斎風の部屋だった。ピートルはソファに腰を下ろした。公爵はその向かいに座った。それからすぐに公爵の妻がお茶を運び、出て行った。

「このお茶は何からできてるの?」

「ある種の木の根を煎じたものです。お口に合うかどうかは分かりませんが、一口飲んでみてください。」

公爵に進められ、ピートルは一口飲んだ。どろっとしている。しかし、それは自分の民族で飲んでいたお茶にそっくりだった。

「これは誰に教わったの?」

「生まれながらにして身についているものですよ。」

「へえ・・。」

ピートルは茶を飲んだ。親しんだ味なので、何の違和感もなかった。

「ところで公爵様。」

「はい。」

「さっきの人は奥さんだよね。あのさ、公爵様は奥さんを愛してる?」

「もちろん。」

「どういうところを?」

「・・そうですね。本能的にです。」

「カエルは、男のカエルを愛さないの?」

「ええ?」

公爵は驚いた顔をした。聴きなれない言葉だったらしい。

「なぜです?」

「いや、思っただけさ。」

「雄が雄を好きになってどうするんですか。子孫も残せないし、全ての生き物はそんなプログラムを持っていませんよ。」

「確かにそうなんだけど・・・。」

「もしやあなた様がそうなのですか?」

「うん。」

「・・そういうこともありえるのかもしれませんね。」

公爵はフウとため息をついた。

「私には人間のことは分かりません。」

それから二人はあれこれ雑談した。自分がどんな人生を送ってきたかや、どんな幸福、どんな災難に巡り合ったかを。

「俺の一番の災難はやっぱりあれだね。一時期ホームレスになって、すっごく悲惨な生活を送ったことだよ。」

ピートルはホームレスをしていた時代があった。飢えと寒さで死に掛けていたところを、吏祢に助けられたのだった。

「・・私は、蛇に襲われたことですかな。池の中で蛇に片足を食いちぎられ、無我夢中で泳いだのです。・・その後生死の境をさまよいましたが、何とか生きながらえました。」

「大変な目にあってるね。カエルにとって蛇は天敵だよね。」

「ええ。最近は落ち着いていますがね。」

「へえ。・・でも、もっと気をつけないといけないことがあるよ。」

ピートルは、小さい頃池で飼っていた蛙のことを思い出した。

「車に引かれないようにね。」

「ああ、それは気をつけなければいけませんね。」

ピートルはおたまじゃくしからよくやく脚が生えて、水から上がったばかりの蛙が、車に引かれてぺしゃんこになっていたことを思い出した。地面にはつぶれた蛙が黒い影のようになっていて、あの時ピートルはかなり心を痛めたことを思い出した。

「ところで、一緒にひと泳ぎしませんか?」

「この池で?」

「はい。せっかくですからね。」

「いいね。」

「では、付いてきてください。」

公爵は部屋を出て、通路を奥へ進んでいった。細長い通路を下っていくと、水面があった。

「ここを潜っていくと池につながります。」

「潜ってって・・俺はそんなに息が続かないよ。」

「ほんの数秒ですよ。では行きましょう。」

ピートルは公爵に連れられ、水に潜った。

「うわ、冷たい・・!」

「すぐに慣れるはずですよ。」

二人は潜って進んでいった。しばらく細長い通路が続いていたが、すぐに広いところへ出た。上に水面が見えた。ピートルは顔を出した。確かにここは庭の池だった。しかし、全く違って見える。ただの池が湖のように感じる。他にも数匹の蛙がいて、泳いだり、虫を取ったりしていた。

「公爵様?」

公爵がすぐ隣に顔を出した。

「気分はどうですか?」

「なんか、不思議な感じだよ。」

「そうでしょうね。あなた様はさっき蛙になられたばかりですから。」

「え、俺は人間だよ。」

「しかし、こうして蛙の言葉を話し、蛙の大きさになって蛙と同じように生活しているのですから、蛙になられたんですよ。」

ピートルはよく分からなかった。だが、蛙になるのはあまり好ましくなかった。

「俺、帰らなきゃ。吏祢が起きて心配してるかもしれないから。」

「そうですか。」

ピートルは水から上がろうと、辺りを見回した。すると、向こうに何かうごめく物体が見えた。二本に割れた舌が見える。それに、細長くて、全身に鱗があるようだ。

「公爵様、逃げて!!」

「うひゃあ~!」

二人は急いで泳いだ。あちこちから蛙の悲鳴が上がった。

「ぎゃぁぁ!」

一匹の蛙が食われたらしい。

「公爵様!」

「ピートル様、急いで!」

蛇は次に、後方を泳いでいたピートルに狙いを定めた。

「ピートル様!」

「早く逃げて!」

ピートルは蛇をうまく交わし、その顔に蹴りを入れた。蛇はあきらめたのか、公爵のほうへ向かって泳いでいった。

「あ、やめろ!待て!」

ピートルは必死で蛇の尻尾に捕まったが、彼の力ではどうしようもない。

「助けてくれ~!!」

公爵の悲痛な叫びが聞こえた。ピートルは必死で念じた。

(人間になりたい!人間にして!・・俺は人間だ!)

ピートルは公爵を助けたい一心でそう願った。すると、見る間に体が大きくなった。ピートルは急いで蛇の尻尾をつかみ、遠くへ放り投げた。

「公爵様?!」

公爵は無事だった。だが、足には大きな穴が開いていた。蛇に噛まれたらしい。

「きっと大丈夫だよ。すぐ治る。この前だって助かったんだから。」

ピートルは公爵に言い聞かせた。

「おい、何やってるんだ。」

ピートルは振り返った。

「池なんかで、いったいどうしたんだ?」

吏祢が窓から呆れたようにこちらを見ていた。ピートルはまだ池の中にいた。はたから見れば、池に落ちたのか、単に気がおかしくなったようにしか見えない。

「吏祢、来てよ。俺、蛙の公爵様にと一緒に泳いでたんだよ。そしたら蛇に襲われて、俺助けたんだ。」

「何言ってるんだ。早く入れ。風邪引くぞ。」

そう言って、吏祢は窓を閉めた。ピートルは公爵のほうを向いた。

「公爵様・・・。」

公爵は何か言いたげに、ゲロゲロと鳴いた。ピートルは公爵を手の上に乗せた。

「何か話してよ。」

公爵はやはりゲロゲロと鳴くだけだった。ピートルはため息をついた。

「・・こうなることは分かってたよ。所詮俺は人間。あなたはカエルだもん。」

ピートルは巣穴の近くに公爵を降ろした。

「また、機会があったら話そうね。」

公爵はピートルの方を向いて、ゲロと一声鳴いた。そして、巣穴に駆け込んでいった。

 

 

 

                  完                     

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